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プロフィール

中浦誠が施術家になったルーツと、
なぜ、中浦誠は施術に興味を持ったのか?

profile

中・高校生時代に柔道をしていて接骨院に通い、左肩の脱臼を治してもらい重度の足の捻挫も治してもらいました。

これが施術家の業界に触れた最初のきっかけです。

高校~大学の時には体の構造や筋肉の動きトレーニング方法などに興味を持っていました。自分で本を買いあさり、解剖学や運動学を勉強してトレーニングなどを自分でやってみたり後輩に教えていました。

また大学でアーチェリーを始めて、あまりにも練習のし過ぎで背中を痛めた時に接骨院で体の使い方や自分の今のケガの状態を分かりやすく教えてもらえて、それをトレーニングに活かすことができて競技に復帰できました。

基本的に体の構造や運動の方法に興味があったんです。


なぜ、中浦誠は使命感をもって施術を行なっているのか?この業界に飛び込んだきっかけとは?

大学卒業後、当初は介護事務をしていました。沢山の寝たきりや杖の歩行でも困難な人がいました。「もっと健康的に年を重ねて豊かな生活を送ることができないのか?」と考えていました。就職して、まもまく母が死にました。

始めて自分が本当にしたい仕事とは何なのか?深く考えました。

そして、自分の人生をリセットして、事務をやる裏方よりも人ともっと接する事で自分の手で何か成果を出す仕事がしたかった事に気付いんたんです。そして自分の好きで得意な体の構造を勉強して、体を良くする整体が自分の使命だと感じました。

そして、妻(当時は彼女)の知り合いの施術家に整骨院の業界のことを聞き、まさにこれだ!と一大決心をして3年勤めてきた仕事を辞めて新たな業界に飛び込みました。


マッサージで笑顔になるのが嫌になった理由

すこしの間、私の小さい頃の話をさせてください。

私が小さい頃から、父親は「水道工事店」の自営業をしていました。 といっても、従業員は父の弟のみ。父は朝5時過ぎには起きて準備して早くから出かけて行って過酷なスコップでの土の掘削作業や、配管設置作業を行い毎日クタクタで帰ってきました。

そんな父を子供ながら何かしてあげたいと1時間以上一生懸命体をもんであげたり、足の裏を踏んであげたりしました。 「誠、今日も腰もんでくれるか?」「力があるからきもちいいな~」 「は~楽になったよありがとう」という言葉が聞けるのがとてもうれしくなりました。

幸せな家庭に見えますが、私の家庭は毎日のように父と母の夫婦喧嘩が絶えず、離婚の危機は頻繁にありました。小学校3年の頃には本当に離婚するんだというような覚悟さえあったのを覚えています。 大抵は、仕事で嫌なことや辛いことがあった父が母の料理や家事の事にイライラして怒り出し、家計の事や世の中の理不尽さに怒りが発展していきました。その日の夜の食事は私たち小さな子供にとっては砂を食べているような味気ない食卓でした。その場から「早く逃げたい」という考えしかない、とても怖い時間でした。なぜなら、必ずといいほどその後子供の私たちに矛先が向かい、生活態度や学校の事など永遠と終わりのない説教を正座で1時間~2時間されることもざらだったからです。

私はその頃から頻繁に「離婚したらどういう生活になってしまうのだろうか?」 「どんな場所に住むんだろうか」と思いを巡らし、不安になり怖くなっては、さりげなく不機嫌な父に近寄り体をマッサージしてあげご機嫌を取ろうとしていたのです。父も子供に気を使われ体を楽にしてもらえるのでその後はご機嫌でした。 人の体のどのあたりが張りやすくて、どのあたりをほぐすと気持ちよく感じるのか感覚で何となくわかりました。父のマッサージをする事で自然と覚えていったのかもしれません。

こうして私は、常に両親とくに父親の顔色やご機嫌を伺い、喜んでくれることを探していました。マッサージをすること、それは、「安心できる場所」を作る為の自分の存在意義の確認だったのかもしれません。

小さい頃のその思いが自然と「体を楽にしてあげたい。」「人に接して喜んでもらいたい。」という今の仕事の選択基準になったのかもしれません。

大人になり、1度はサラリーマンを3年経験した後、この仕事の見習いとしてある接骨院に入りました。そこで朝早くから夜遅くまで、その接骨院の包帯とマッサージを一生懸命学びました。そこのマッサージは親指や手首を酷使し腱鞘炎になることも何度もありました。それでも人に喜ばれる仕事でできる事に使命感を持ってやりがいを感じて勉強していました。体重も7kg減りました。 しかし、人を治すことができる技術ではありませんでした。 「努力と根性」、それだけのところです。それでも1日100人前後は来院する地元では人気の接骨院だったのです。

そして何年かたったある時気づきました。これでは自分の身体を犠牲にして家族を犠牲にして体を酷使しても、小さい頃に父にやっていた「終わりのないご機嫌を取るだけのマッサージ屋さんにしかなれない。」私の体と心はもう限界でした。


BRM療法と出会ったきっかけ

「施術技術を見つけたい」その思いで別の接骨院に入りました。そこでは外傷に対する技術、知識がとても高く毎週勉強会を開いていただきました。 常に勉強を怠らず、頭をフル回転させてお客さまに治せる施術を考え提供する事の大切さを深く学びました。

「すばらしい先生がいたんだ!!この人のような施術家になりたい!」 と一生懸命に座学や技術を学びました。 そこでは、背骨の矯正法も行っていて背骨をダイレクトに動かす「バキバキ」とする方法を学びました。その矯正法はシンプルで非常にわかりやすく即効性もとてもありました。(と思っていました。)私はその矯正法の虜になり、1日平均60人来院するお客様の半分近くを矯正することもありました。そして「たくさんの人を助けてあげられた」 と思っていました。

「この技術があればたくさんの人を助けることができる!」 私は、そんな思いあがった考えで勢いよく開業しました。 しかし、私一人だったのもありますが全ての人に使える手技ではありませんでした。 また、「その日はいいけどまたすぐに戻るんだよね~」と言われ別の院に行ってしまう方もいました。

また、整骨院に来るお客様は外傷の人だけでなく、慢性の頭痛、めまい、肩こり、腰痛、40肩、ヘルニアといわれて、脊柱管狭窄症で足がしびれて、といった「どこに行っても治らない方も希望を持って」来院されます。しかし開業当初の私にはその症状に対応できる技術がありませんでした。希望を持たれて来院されたお客様を失望させてしまった事もたくさんあります。

「今までのやり方では何かが足りない」 「もっと安全で体に負担のかからない矯正法がないのか?」

「自分の知識や技術はこんなものだったのか?」

ずっと悩み続けました。いろいろな手技を何十万とかけて学びました。

しかし、どんなに優れた施術家の方の手技を勉強しても「何かしっくりこない。」

「ある人には効果的だけど別の同じ症状の人には効かない。何でなんだろうか?」という感じでした。

そんな時、「BRM療法」という施術をする吉田先生にであいました。

先生は「雪の日に転んで怪我をされて、 胸鎖関節の脱臼で片腕が使えず、バンドでつったまま動かせずに激痛のまま10年過ごした。」と話していました。

そして「病院でもあきらめられ、どこの整体院に行っても治らず、自分で治す為に50歳から施術家になった。」 と聞いてびっくりしました。

その後、バスタブで頭痛が改善したのを体験してから、その根拠を追い求め、ご自分の体を治したいという一心で、もの凄く解剖学や運動学等を深く学ばれ、しっかり裏打ちされた理論からなりたっているとてもソフトで安全な技術がBRM療法でした。 『これこそ、私が目指すべき矯正法だ!!』と強く感じました。

何よりも、最後の私たち若い施術家に向けてのメッセージで 「諦めないでください!」 という言葉、私に言ってくれているのだ!!諦めてはだめだ!自分の実力を認めてまたこの人についてしっかりと施術家としての心構え、技術を学ばせてもらおうと決意しました。


恩師 吉田先生から受けた教え

吉田先生から受けた教えで、この言葉は一生の施術家人生で私の礎となりました。 「私たちBRM療法家は、現代医療から見放されたお客様の「最後の砦」なんだという心構えで臨まなければならない。」 吉田先生自身が身をもって体感された絶望感、そこから光を見出し同じ様な状況にいる方への助けになりたいというとてつもない情熱を感じました。

お客様にはご迷惑をおかけしていますが、セミナーの為に土曜日の営業時間を休みにしている月もありますが、毎月のように勉強させてもらっています。そして何度も模型とにらみっこして、学校で学んだ解剖学を復習してきました。 実際の吉田先生の講義は、予想以上に熱く、解剖学を午前中全て使ってしっかり教えて頂きました。そして、沢山のお客様のエビデンス(証拠写真)をみせてもらいました。

吉田先生にはまだまだ及びませんが、私の「直感」は今現在学び続けている中でBRM療法の手応えは「確信」に変わっています。 なぜなら、「骨のわずか1mmの歪み」それが重なって拡大して大きな歪みを形成し、痛みやしびれ等を起こしています。その1mmの歪みを見つけるには細やかなカウンセリング、視て触ってみて微妙な歪みや皮膚の状態をいかに正確に把握するかが大事です。その歪みを改善すると神経の流れが解放されて症状が改善される方が多いからです。BRM療法はまだまだ進化しています。また、助産師さん向けにも吉田先生はセミナーを開催しています。

お子さんの症状に対する施術にとても熱心に取り組んでいます。


産後の骨盤矯正への思い

私は、子供が3人います。最初の子が生まれた時に、妻が産前にはなかった、両手首の腱鞘炎、首の寝違え、肩の痛み、そして添い寝や抱っこのし過ぎによる腰痛が度々起こるようになりました。しかし、その頃のわたしには治してあげられる技術がありませんでした。その事がとても悔しかったのを覚えています。

ですので、その頃近くの整体院にお世話になったのですが、腱鞘炎や、産後の腰痛はテーピングをしたり、骨盤ベルトを巻くくらいしか対処法がありませんでした。

そこで私はいつか治せる技術を身につけて、産後の方でも、身内でも治してあげられる本物の施術家になろうと強く決意しました。

それから3人目の子供が生まれ…

様々な施術法を探し、臨床経験を積んで、自信を持って産後の歪んでしまった骨盤でも、手の腱鞘炎でも骨の歪みをソフトに矯正して痛みを改善することができる技術を身に付けることができました。

そして、現在妻が3人目の子供を出産した時に産後に起こりやすい、「突然の腰痛」や「足のむくみ」、「股関節の痛み」、「首の痛み」等々。

毎日のように骨の歪みを施術して色々な痛みやむくみの改善ができるようになりました。

なぜなら、この矯正法は全く痛みがないですし、皮膚の誘導だけて骨の歪みを治していくとても体に優しい手技だからです。ですからママさんでも安心して受けていただけます。

私は、この素晴らしい技術でひとりでもこの地域の産後の痛みで困っている人を笑顔にしてあげたいと強く思っています。ママさんが「笑顔で子育て」ができる環境を作っていきたいのです。

 

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